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運用型広告が上陸して20周年を記念して
2002年に運用型広告の原型ともいえる、オーバーチュア、Googleアドワーズが日本市場に上陸してから20年の月日が経ちました。
インターネットの歴史をひも解けば、1989年に欧州原子核研究機構 (CERN) のティム・バーナーズ=リーによって発明されたWorld Wide Web(WWW)は1990年世界初のウェブページの公開によって幕を開け、インターネットの普及に大きく貢献。
1995年、Windows95の世界的大ヒットから一般市民の間にもパソコンが急速に普及し、固定電話のダイアルアップ接続で通信されていたインターネットはISDN、ADSL、光回線へと通信速度を徐々に上げていき、スマートフォン登場以降は無線LAN接続(Wi-Fi接続)へとさらに変化を遂げてきました。技術の進化、利用者の急増に伴い、インターネット広告も大きく成長を続けています。
日本市場において、2021年には「マスコミ四媒体広告費」を上回るまでになった「インターネット広告費」ですが、その85.2%を運用型広告が占めるに至っています。(※出典:「2021年 日本の広告費」より)
1997年のGoTo.com、1998年のGoogle設立を経て日本へやってきた、後に運用型広告といわれるようになる新しい広告スタイルですが、上陸当初には多くの苦労があったといいます。どのようにして市場に受け入れられるようになってきたのでしょうか。
今回の話し手:佐藤康夫、杉原剛、岡田吉弘
今回は、オーバーチュア、Googleの日本市場立ち上げメンバーであり、検索連動型広告市場をけん引してきた佐藤康夫、杉原剛、岡田吉弘による、歴史を振り返りつつ未来の展望を見据える特別鼎談を全3回にわたってお送りします。
語り手:
アタラ合同会社
会長 佐藤康夫
CEO 杉原剛
フェロー 岡田吉弘
2002年、日本に運用型広告が上陸。「入札」「セルフサービス」による広告の新しいスタイル
Unyoo.jp編集部:本日はお集まりいただき、ありがとうございます。2022年は運用型広告上陸20年の節目ということで、当時から長きに渡り運用型広告に携わっていらした皆さまに歴史や遍歴を伺おう、というのが今回の鼎談の主旨となります。まずは、初めてお読みになる読者のために、簡単に経歴と自己紹介をお願いできますか。
佐藤:2001年Googleの日本法人に入社し、翌年のGoogleアドワーズ日本上陸に従事しました。2009年に退社し、その後からアタラ合同会社勤務です
杉原:2002年にオーバーチュア、2007年にGoogleで営業戦略、オペレーション設計を担当し、その後、アタラ合同会社を創業しました。
岡田:2003年から広告代理店でGoogleアドワーズ、オーバーチュアの運用に従事し、2006年からGoogleでアカウントマネジメントを担当しました。その後、アタラ合同会社で2017年末まで取締役、現在はフェローです。
Unyoo.jp編集部:経歴を伺えたことで今後の話の流れが、より分かりやすくなるかと思います。ありがとうございます。
佐藤:この企画を発案したのはそもそも、Web3.0界隈で昔の話が総括されてるのを見て、特にWeb1.0~2.0の時代の話が雑すぎる印象があったので(笑)。過去に起きたことは、しっかり残していかないといけないかなと思って、このテーマで話をすることになりました。
岡田:歴史修正はゆるさないぞ!という(笑)。
杉原:あちこちで何回も話しているトピックではあるものの、あらためて歴史を追ってお話しする機会になればよいかな、と思います。
佐藤:ほら、運用型広告の始まりといわれるGoogleアドワーズ広告(以下、アドワーズ広告)、オーバーチュア スポンサードサーチ(以下、オーバーチュア)が日本に上陸して、ちょうど20年経っていることもありますし、一応節目なので。
岡田:ぴったり20年!2002年の上陸ですもんね。
佐藤:そう。だから当時を知っている人たちで、運用型広告の経緯や、この20年の変遷をポイントを絞って残しておこうという感じです。その上で、ポストCookie、自動化の拡張、新たなプレイヤーや手法の拡大といった起こりつつある近未来に向けて「この広告運用って、どう変化していくのか」とか「こうなっていってほしい」という形で広がりを持たせた記事にできればと思っています。
Unyoo.jp編集部:分かりました。では、運用型広告上陸のお話からお願いします。
杉原:まず、日本に運用型広告がやってきたお話から。アドワーズ広告は2002年、Yahoo!というか当時のオーバーチュアのサービスインが2002年12月でした。
佐藤:アドワーズ広告とオーバーチュアがほぼ同じ時期に、同じようなモデルで日本に入ってきたと。日本では見たことのないものだから、もうびっくり仰天だったんですね。広告に「入札」と、それに伴う掲載順位の変動という概念がやってきたことは何よりも驚きでした。
岡田:それまでの広告は「広告枠=場所」と「期間」、値段も決まってましたからね。
佐藤:あと広告出稿側でのセルフサービスでクレジットカード決済というのも衝撃的でした。
それまでは媒体社、プラットフォーム側が全ての広告に対して広告を表示したり、非表示にすることを担っていて、プラットフォームサイドには広告オペレーション担当という人員が結構な数いたわけです。Googleもアドワーズ広告導入前には、そうした人員がいました。しかし「セルフサービス」という概念が出てくると、その人たちの仕事がなくなるような感じなんですよね。
それに伴い、広告出稿時の最低金額がなくなりました。それまでの広告ってプラットフォーム側が全部の広告をオペレーションしていたこともあって「最低30万円以上の予算がないと広告は出せません」などとお断りするようなことも多く、広告出稿自体がある程度の規模の企業向けとなっていました。ところが、クレジットカード決済でセルフサービスだと、プラットフォーム側としては運営上の手間がないので、最低予算を設定する必要がなくなったわけです。
杉原:運用型広告の最低入札金額はありました。
岡田:9円とか、ありましたね。
杉原:最初、オーバーチュアは一律35円でした。
岡田:35円スタートで、あとから9円をつくったんでしたね。そうだ、思い出した。
佐藤:Googleも似たような経緯でした。
運用型広告の最低入札金額は下げるが吉!?中小企業が気軽に広告出稿できる時代の到来
佐藤:Googleは確か30円だったのかな。ワンクリック30円くらいなら広告出稿がいっぱい入ってきそうだから、そのぐらいにしておこう、みたいな話だったのね。それ以上、下げちゃうと売り上げが下がるって、みんな思ってたんですよ。だからオーバーチュアもそうなのかな、最低入札金額が低いと売り上げが下がるっていう意識があって、ちょっと高止まりしていました。でも、他のバナーなんかはクリック単価でいうと100円ぐらいだったんで、30円でも十分安かったですけどね。
杉原:入札の最低金額を下げると売り上げが下がるんじゃないか、という印象はありましたね。同じキーワードへの入札が増えると入札競争状態となって、どんどん上がっていくっていう感覚を、当初は僕らも持っていませんでしたから。
佐藤:ただ途中で、本社は最低入札金額が7円とかになっていて、日本も入札の最低金額を下げろとお達しがきて。
僕らは当時Googleでアドワーズ広告と一緒に、プレミアムスポンサーシップ広告っていうインプレッション保証型の広告商品も単価12円で売ってたから(2002年当時、Googleでは検索結果の真下はプレミアムスポンサーシップ広告、検索結果の右縦に6枠がアドワーズ広告だった)、アドワーズ広告の最低入札金額を下げることでプレミアム広告が売れなくなったら困るし、そんなに最低単価低いとゴミのような広告がたくさんになって検索サイトのブランド毀損になるって、日本の皆は反対して受け付けなかったんですよ。
そしたら本社CEOのEric Schmidtが日本を説得する使者を送り込んできて、でもそれも「No」って言って帰したりしたエピソードもありました。それだけこの7円という最低入札金額はインパクトがあり、議論が白熱した事案でした。
ただ程なくすると、確かにCPAにシビアな予算の多い企業が思ったほど利用していないし、全体の伸びも落ち着き気味な傾向が見えてきたので、日本オフィス皆で話し合って、思い切って最低入札金額7円を導入することにしました。
当時は、最低入札金額を下げるイコール売り上げが下がるっていう意識が業界内にあったので、オーバーチュアの広告担当者からは「なんかGoogle最低入札金額を下げたんだって、大変だね」みたいに思われていたようです。
アドワーズ広告の最低入札金額を下げてすぐに、当時アドワーズ広告を一番積極的に販売していた、とあるインターネット広告代理店の代表から、電話で怒鳴られたりしましたね(苦笑)。
「売り上げ、要らないのか!うちだって売り上げが下がると困っちゃうんだよ!」みたいな感じで言われて。
だけど、それから1カ月も経たないうちに広告主が急増して、入札金額もそれなりに上がり、結果的には「最低入札金額を下げてもらったことで、むしろ売り上げ上がっちゃいました。全然問題ないです!」みたいな、お礼の電話がくるようにもなったんです(笑)。
オーバーチュアもすぐ最低入札金額を下げましたよね。
杉原:当時、Googleは11円あたりでしたっけ?オーバーチュアは最低入札金額35円でスタートして、カバレッジ(検索総数に対して広告がついている率のこと)が全然上がらず、売り上げが頭打ってしまったので、じゃあGoogleも意識しつつ、入札が全然入っていないキーワードに限って9円にしました(入札がついているものは35円でキープ)。
佐藤:あ、そうでしたね。既に入札が入っているキーワードには触らずに、まだ入札が入っていない売れてないキーワードだけ最低入札金額を下げるっていう。Googleも確かそうだったと思います。
杉原:結構賢い戦略だったような気がします(笑)。
岡田:インターネット広告代理店側でも同じことをやってましたよね。
杉原:やってました(笑)。
岡田:2トークン、3トークン以上ある掛け合わせキーワードはオークションプレッシャーがあまり高くならないので最低入札単価が下がります。そうするとキーワードカバレッジが上がるじゃないですか。当時は、1個1個のキーワードに対して入札をしないといけなかったので、最低入札金額が9円になったキーワードを全部Excelに入れるぞー!と真夜中まで作業したりしていました(笑)。
杉原:当時、現場も含めてずっと見ていて、カバレッジが上がらないと始まらないと納得しました。こればかりは営業は何も手出しできないですよね。新規で掲載パートナーを獲得しても、結局カバレッジが上がらないと始まらないから。
佐藤:そうですね。そのために最低入札金額を下げたってことですよね。
杉原:そんな時代でしたね。
佐藤:この低い最低入札金額と、予算規模を問わないスタイルが広告主の数を驚異的に増やし、以前は広告が入らなかった、検索数の少ないキーワードや、Google AdSenseなどを通じた個人のブログやHPなどの収益機会を飛躍的に拡張させ、Amazon.comなどのビジネスモデルを説明したロングテールという概念が補強、再注目されたように記憶しています。アドワーズ広告とオーバーチュアが広告事業のロングテールを創り出したように思います。
杉原:そうですね。
佐藤:中小企業のキーワード広告運用をやっていると、ビジネスがどんどん動いていくのが分かるじゃないですか。普通に「広告」「はんこ」とか。
岡田:そうですよね。最初の広告主は、はんこ屋さんでしたよね。
(注:アドワーズ広告では、全部の枠に広告が埋まった最初のキーワードが「はんこ」だった)
杉原:オーバーチュアの最初のころの中小広告主で、よく事例で出ていたのは屋形船ですよ。
岡田:屋形船、ありましたね。品川の。
杉原:そうそう。あと、これもよく事例として話すことなんですけど、キーワード広告とテレビ連動企画をやり始めたECサイトがあって、テレビの情報番組でどういったテーマが取り上げられるかといった情報をキャッチしてる人がいて、その情報を仕入れて、テレビで情報番組が放映される2日間は、その番組で取り上げられるキーワードの入札単価をばーんと上げて、売り切ったらすぐにテイクダウンして大もうけしてる人は結構いましたね。
岡田:剛さん、そういえば当時、個人ブログを運営してましたよね。
杉原:個人ブログ運営、やってましたね。Searchad.jp。
岡田:検索窓が付いてる広告がひたすらアップされていくというストイックなブログでした。
杉原:そう、検索窓が付いている広告の写真を撮るだけという。かなりマニアックなブログでしたね(笑)。テレビ、新聞、雑誌、屋外など。ラジオなんかも聞き取って記録してました(笑)。マメですよね。数百いきましたよ。
佐藤:電車の中づり広告の写真もありましたよね。
岡田:あのころ、中づり広告に検索窓を付けるのが、はやってましたね。
杉原:電車の社内で撮影していて、どうしてもパシャって音がするので怒られたことがあります(笑)。話を戻すと、やっぱり当時、中小企業が大企業相手に戦えるようになったというか、それまで高額で、とてもじゃないけど買えなかった広告出稿が身近になったということが、一番世の中への影響力が大きかった側面だと僕は思ってますけどね。
佐藤・岡田:広告主は確実に増えましたよね。
杉原:マーケティングが身近なものになった感じがしますよね。
日々のオペーレーションが必須の運用型広告の衝撃。検索連動型広告は「広告」なのか?
Unyoo.jp編集部:ではここから、運用型広告について伺えますか。
佐藤:はい。アドワーズ広告もオーバーチュアも基本「セルフサービス」を打ち出し、これが新しいスタイルで、少額の広告主が自分ですぐに始められ、やめるのも自由という手軽さが故に、マーケットが一気に拡大したという面が大きいわけだけど、これが広告代理店にとって、どういう影響があったのかという視点中心で話してみようと思います。
普通の広告は広告出稿の場所も金額も決まっていたから、それをフィックスさせるのが広告代理店の仕事だったわけです。もちろん広告出稿前に企画も綿密に立てて、最終的なアウトプットをするところまでを担う役割もありますが。
しかし、アドワーズ広告やオーバーチュアは、広告掲載を開始するまでの準備はもちろん、掲載が開始した後に、広告の出稿設定オペレーションの改良作業も日々やっていかないといけなくなりました。
広告掲載場所と、入札によって広告出稿金額も広告表示ごとに違うこともあるような、それまでの掲載開始したら広告バナーの入れ替えをプラットフォーム側へ依頼することくらいしかない広告出稿のオペレーションとは全然違う感じになったので、毎日、広告の入札状況や掲載順位などをウオッチしながら、出稿設定の改良オペレーションをしっかりやって回さなきゃいけない。つまり、広告を「運用」しなきゃいけないってことになったわけですよね。
それまでの広告にはなかったオペレーションなわけで、実際に携わってきた僕らも、これは広告なのかな?っていう疑問は感じていました。
毎日毎日ウォッチして労力がかかるアドワーズ広告やオーバーチュアに、マスメディアを中心に扱ってきた大手総合広告代理店などは積極的に取り組むことは、それほどなかったと思います。
その状況を良い機会と捉え、提案からオペレーション代行までできますっていう形で台頭してきたのが、当時インターネット専業広告代理店といわれていた、サイバーエージェント、アイレップ、オプト、セプテーニなどでした。
SEO専門会社のアウンコンサルティングもそうでしたね。
杉原:そうですね。米国のオーバーチュアは「もう完全にセルフサービスで運用してますから」って、うたってたんですよ。
かつ、これは「ペイドサーチ」であってアド(広告)とは言わないんですよね。だけどオーバーチュアが運用型広告を日本に持ってきたときに、あまりにもこれまでと概念が違いすぎることもあって、なんていうか、日本市場向けにしっかりお膳立てをしてあげないと、日本国内の広告代理店も広告主も使ってみようと思わないんじゃないか?っていうのがオーバーチュア時代に考えてたことの一つです。
「ペイドサーチ」って言われても、日本市場では「広告」って呼ばないと売れないんじゃないか?ということで、名前はどうしようか、みたいな話になっていました。
米国では「スポンサードサーチ」だというので、結局「スポンサードサーチ」という商品名称は日本市場でも使うことにしたんですけど、新しい広告の種類として「広告」が付く名前を考えようという話になって、ペイドサーチ広告って違うよね、サーチ広告もないし、ということで「検索連動型広告」という通称を付けたわけです。「広告」という言葉を明示的に付けようということについて、オーバーチュアでは当時ものすごくディスカッションしたんですけど、当時Googleではどうだったんですか。
佐藤:Googleは米国の呼称が「AdWords」だったけど「広告=Ad」という言葉が入ってるので英語圏の人にはなんとなく伝わったんでしょうけど、日本だったら「AdWords」って言われても、何それ?って思われてしまうと考え「アドワーズ広告」という名称にして打ち出しました。
それで「広告」という言葉を付けたときに一番大変だったのは、実は媒体費のコミッション問題で、米国では「広告」として扱っていないから、媒体コミッションがなかったんですよ。あくまでも「ペイドサーチ」なんだということで。
だけど、日本では広告代理店を経由して広告主が広告出稿をした場合、広告代理店に媒体費に対するコミッションを支払うわけじゃないですか。そのことを米国の担当者に伝えたら「え、コミッション?何それ?」って言われちゃって。
それはオーバーチュアでもGoogleでも同じ状況だったんですけど。そもそも、アメリカに媒体費のコミッションは、それほど一般的ではないんですよね。日本だと媒体コミッションがないと広告代理店は動かないし、どうしようかって、米国と日本の間の調整が大変だったわけです。
杉原:今はGoogleもYahoo!も大きな検索エンジンなので、あまり想像つかないのかもしれないですが、オーバーチュアは、自社の検索エンジンなどは持ってなく、特にポータルサイトといわれているような外部の検索パートナーに対して検索連動型広告のプラットフォームを提供して、広告のクリックを2社で一定の割合で折半する、いわゆるレベニューシェアをするビジネスモデルだったのです。
でも、広告代理店と付き合うとなるとコミッションモデルだし、普通にやると利益がなくなってしまうので「さてどうするか」と悩んだわけです。
佐藤:特に僕は広告代理店出身だったから、媒体コミッションモデルを壊しちゃうとまずいと思って、米国本社に、日本ではコミッションを入れてくれってずっと言ってました。
でもGoogleの創業者のLarry Pageらが、オークションの公平性が失われるといって、全然取り合ってくれないわけですよ。それで困ってたら、オーバーチュアのほうから画期的なモデルが出てきたんですよ。
日本の”媒体コミッション問題”解決に編み出された「マークアップ」
杉原:マークアップのことですね。
岡田:確か、最初に出てきたインターネット広告代理店6社くらいが導入していたと思います。その後も参入代理店に広げていったんですよね。でも、今はインセンティブはあっても、マークアップなく原価をそのまま支払っている代理店がほとんどじゃないですか?
佐藤:ああ、なるほど。じゃあ、ある意味、原初モデルと同じになったんだ。実質コミッションビジネスじゃなくなったってことだよね。
岡田:そうですね。会計的な意味で、そう言えると思います。マークアップのほうが面倒でしたよね。不透明で利益率のコントロールができないし、厳密に計算すると広告主も損をしやすい設計でした。
佐藤:そう。ただ、この当時はマークアップするっていう方法がオーバーチュアから聞こえてきたので、Googleで悩んでいた僕には渡りに船だなって思いました。
オーバーチュアがこういうのをやるならというので、Googleはちょっと違う形にはしたんだけど、同じような仕組みを導入してほしいとお願いしました。アメリカ本社はぶつぶつ文句を言ってはいたんだけど、広告代理店に「オペレーション」という仕事を依頼しているわけだから、そこの作業料としてフィーが発生するのは妥当だろうと。最終的にはそれで「うーん、分かったよ」みたいな感じになったんです。
杉原:オーバーチュアは、システム利用料とか、オーバーチュアが提供するアカウントマネジメントに対するフィーだとかいう形で処理してましたね。ものすごい苦し紛れに(苦笑)。
岡田:そうですよね。途中から広告代理店を通したほうがオーバーチュア側が利益が出るという構造になってて(笑)。でも、レベニューシェア率が高いと利益をあげるには、その方法しかないですものね。
杉原:そうだよね。あれも、よくアメリカ本社を説得できたなって思います(笑)。
佐藤:そんな形でマークアップ形式での運用が滑り出したのかな。ここで、インターネット専業広告代理店が躍進してきたのと、広告主のロングテール現象が起きたっていうあたりが、ビジネスの景色としては、かなり変わったとこだと思うんです。
Unyoo.jp編集部:運用型広告の日本市場上陸から受け入れられるまでの試行錯誤の過程はこれまで詳らかにされてこなかったので、多くの苦労の末に今があるという事実に驚きました。ここから先はオーバーチュア、Googleが日本市場で成長していく過程、DSPやソーシャルメディアの台頭までについて、お話を伺いたいと思います。
運用型広告上陸20周年記念 特別鼎談 第2部~第3部は2022年12月の公開を予定しております。お楽しみに!