「思えば遠くへ来たもんだ」 セッションに登壇
2017年7月14日(金)に開催させて頂いたUnyoo.jp Meetup Vol.10 「フレッシュマンに寄り添う」 の後半セッション「思えば遠くへ来たもんだ」 (業歴10年前後の方々によるセッション)登壇させて頂いた。
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(ほんの数年前に運用型広告のキャリアを開始したように感じているが…)もう10年以上も運用型広告の経験を積んできたんだと、改めて過去の経験を思い返すきっかけになった。同時に、ご参加頂く方々に何を伝えるべきか、とても悩んだ。
なぜなら、ここ数年で運用型広告を取り巻く環境は大きく変化し、僕がキャリアを積み始めた頃とは環境がまったく異なる。ただ単に過去の経験を話すことに意味はないと思ったからだ。とは言っても、僕が語れることは過去の経験でしかない。正直、直前まで何をどのように伝えるべきなのか悩みながら開始の時間を迎えた。
会場に足を運んで下さった方がの反応を見ながら、何とか自分なりの言葉で伝えたつもりだ。ただ、限られた時間内だったこともあり、言葉足らずだったと思う。セッション後に頂いた質問や僕自身の反省を踏まえ、改めて纏めてみたい。
なぜ、この業界で仕事を続けているのか?
僕はインターネット広告専業代理店から運用キャリアをスタートしたので、提案できる範囲はインターネット広告に限られた。
もちろん、インターネット広告は有効な一つの手段である。しかし、明らかにインターネット広告では解決できないと思う課題をクライアント企業から頂くことがあった。日々の運用業務で忙しいこともあり、最初はさほど気にせず運用型広告では解決が難しいことだけ伝えて終わっていた。
しかし、運用がそれなりに出来てきた2年目の夏頃、『今はこれで良いかも知れないが、インターネット広告が当然になった頃には効果は落ちるだろうな…。インターネット広告だけの知識や経験でやっていけるのだろうか…。』と思う瞬間があった。
その日から、『これから、キャリアをどう歩んで行けばいいのだろうか?』と考えることが増えた。当然、当時はロールモデルになる先輩はいない。僕だけではなく、誰もが必死で日々の業務を進めながら悩んでいたので、この頭の中のモヤモヤは当然取れずにいた。
そんな気持ちを抱えながら過ごしていたある日に後輩から、『先輩は運用好きですよね!』と満面の笑顔で言われた。
はっきり覚えていないが『好き?!そんな風に見える?』と返事をしたと思う。キャリアをスタートした当初から運用が好きと思ったことはなかったし、今も同じ答えになる。
もちろん、運用効果を出すために色々と考えることは興味深く、知的好奇心を満たしてくれる。その結果、成果が出せた時は嬉しい。ただ、運用の仕事を「好き/嫌い」という軸で表現することは、僕の中では違和感がある。どちらかと言えば、「興味深い/深くない」という軸の表現の方が的確だ。
ご質問頂いた時にも答えたが、運用型広告はあくまで手段であって目的ではない。ある素晴らしい商品を購入してくれそうな人へ情報として届ける手段として最適と判断したならば運用型広告を使えばいい。適切ではないと判断するならば、別の手段を提案すればいい。
僕は、インターネット広告(運用型広告を含む)に興味があるというよりも、人の気持が変わる(例えば、この商品はいいな、買いたいな。と思う)瞬間に携われることが好きという面が強い。だからこそ、インターネット広告だけの知識や経験でやっていけるのだろうか…とキャリアのスタート時期から考えたのだと思う。
とは言っても、インターネット広告への興味は尽きない。年々、アドテクノロジーは進歩し、これからも進歩し続けると思う。その流れのなかで、インターネット広告とオフライン広告の境界線は曖昧になってくるのではないかと勝手に思っている。そういう未来を勝手に夢見て、楽しめる業界だから続けている。
転職後に悩まないために
インターネット広告では解決できないと思う課題をどうやって解決しているのか?肌身で感じながらスキルを身に着けたいと強く思っていた時、大手総合広告代理店のデジタル領域子会社へ転職のチャンスが来た。運良く入社し、大手総合広告代理店の方と一緒にチームで働くことになった。
インターネット広告専業代理店と大手総合広告代理店とでは、予算規模、働き方、考え方、社内ルールと文化が大きく違った。当然、戸惑ったことも多くあった。しかし、インターネット広告では解決できないと思う課題をどうやって解決しているのか?を肌身で感じることが出来る環境を求めて転職したので、毎日充実した日々を過ごしていた。
しかし、様々な難題にも出会い。様々な苦労もした。
インターネット広告専業代理店で働いていた時、獲得単価と獲得数という明確な運用指標があった。しかし、大手総合広告代理店のデジタル領域の場合、獲得単価と獲得数ではない運用指標になる場合がある。平均クリック単価など掲載管理画面の指標であるならば、まだ運用しやすい。
例えば
『このキーワードで検索している人は何を期待して検索し、弊社の広告をクリックしていますか?』
『このキーワードを検索する人は、どんな状況で、どんな気持ちで、何を知りたいと思っていますか?』
などなど
定性的な質問がクライアント企業の担当者から質問される。
インターネット広告専業代理店の時からキーワードの検索意図などを考えていた方だと思っていたが、ここまで1つのキーワードに対して検索ユーザーの気持ちを考えることはしていなかった。最初は苦労したが、ここまで深く考えることはとても刺激的で楽しかった。
もちろん、ここまで1つのキーワードから検索ユーザーの気持ちを考えることが求められるので、広告文も何となく作成することは出来ない。大手総合広告代理店には言葉のプロであるコピーライターがいる環境なので、営業担当の人からも微妙な広告文を提出すると修正を求められることもある。
インターネット広告専業代理店とは違い、スピードと同時に高い質を求められる大変な環境ではあったが、徐々に様々な仕事に関わらせてもらえたり、インターネット広告領域以外の方と会話できるようになると、転職した目的であるインターネット広告では解決できないと思う課題をどうやって解決しているのか?を肌身で感じることが出来るようになってきた。この経験がなければ、今はない。
転職すれば、会社によって文化が大きく異なる。最初は戸惑うこともあるが、何を求めて転職をしたのか?どういうスキルや経験を身に着けたいのか?ということが明確ならば、何とかやっていけるはずだ。今の環境では経験出来ないこと、身に付けたいことを明確にし、これからについて考えた方がいい。
広い視野を持ち続ける
運用型広告に閉じない。
この言葉は頻繁に言われているし、僕も言っている。しかし、実行することは難しい。日々、運用型広告の運用をしているのだから当然だが、運用型広告の中で解決しようとしてしまう癖が身についてしまう。
過去にコラムで書いたが、このような癖をつけない為には意識して異なる領域からヒントを得ることをすべきだ。
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運用型広告は、決して魔法の杖ではない。あらゆる課題を運用型広告で解決することは出来ない。場合によっては、運用型広告をやらないという選択肢を取る勇気も必要な場合がある。
しかし、運用型広告しか知らないと、他の解決方法を思いつくこともない。だからこそ、運用型広告以外の領域では、どのような方法で課題解決しているのか?知る必要性がある。
少し古い記事になるが Yahoo! JAPANビッグデータレポート『日本は2つの国からできている!?~データで見る東京の特異性~』を見ると
東京人は他県に比べて圧倒的に検索数が多いことがわかります。
東京の一人あたり検索数を100とすると、次点の大阪でさえ東京の3分の2にも満たず、ほとんどの地域では東京の半分以下という状況でした。
最も少なかったのは鹿児島で、東京よりも7割以上少ないことがわかりました。
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この分析結果を見ると、東京だけ検索数が飛び抜けて高い結果だ。分析対象がPCからの検索データのみである点、東京近郊から通勤、通学している人たちの検索数も東京都のデータとして含まれている可能性を加味しても、首都圏での検索数が圧倒的に多いと考えられる。
この事実を前提にした時、例えばクライアント企業から地方都市からの成果数を多く取りたいという要望があったとしても、検索連動型広告が最適化課題解決にならない場合もある。運用型広告に閉じない視点をもつということは、このような事実を出発点に課題解決方法を考えることだ。
最適な方法を考え抜いた結果、運用型広告が最適ならば提案すべきだし、最適でなければ別の解決方法を提案した方がいい。ある課題に対する解決方法は1つではない。様々な角度からの解決方法を意識的に得ることで、考え方の幅が広くなったり、新しい知識や経験も身につく。
僕のキャリアを振り返っても、この運用型広告に閉じない視点をもつことで成長できたと思う。クライアント企業の課題を解決したいと思い、運用型広告以外の領域を積極的に学んできた。その結果、運用型広告に限らず幅広い課題について相談をして頂けるようになったと思う。
最後に
僕自身のキャリアを振り返ると、「運用型広告を運用することを目的にしない」ということを中心に歩んで来たと思っている。これが正しいか間違っているのかは分からないが…。また、(存在していると思っているが…)運用型広告が10年後も今と同じように存在するのか?も分からない。
仮に運用型広告が衰退して別の手法が中心になっても、その手法を学べば同じように成果を出せる人材でありたいと思っている。
運用型広告に限らず、身につけたスキルが陳腐化するスピードが早くなっている。常に学び続けなければ、必要とされなくなってくるに違いない。これからも学び続けなければならないことを、改めて認識する機会になった。