ふと考えたら、この2016年の10月でインターネット広告に仕事として関わって20年が経ちます。これまでずっと変化に満ちた業界でしたし、これからも常に変化の渦の中で仕事をしていかなければいけないところなので、20年といって格別大きな感慨があるわけではないのですが、せっかくの節目でもあり、これまで自分が経験してきたものを振り返りつつ、今見えている景色を書き留めておこうと思います。
検索エンジンとポータル戦争
1996年10月に、デジタルガレージでインフォシーク(Infoseek)という米国の検索エンジンを日本向けにビジネスとして展開し始めた、というのがこの業界での私の最初の仕事です。
それから2001年までは、一言で表現するならば、当時盛んに言われていたポータル戦争(インターネットの入り口陣取り合戦)の真っただ中で、インターネットは世の中を大きく変えるんだ!という熱い思いと、厳しい現実の狭間で日々格闘していた、という感じでしょうか。1990年代の後半は「日本人にロボット検索は向かない」と言われディレクトリ検索がまだまだ隆盛を誇っていて Yahoo!JAPAN の一人勝ち状態でしたし、そもそも企業サイトが圧倒的に少なく広告出稿以前の状態だったと言えます。
検索エンジン(当時はサーチ・ポータルと呼ばれていた)は、インターネットの中でも人が多く集まる場所で、インターネットの普及とともにアクセスも増えていったわけですが、途中から “ユーザーが外のサイトに流出してしまうのがもったいない” と考え、ポータル(港、入り口)からデスティネーション(目的地)になろうと、自社サイトの中のコンテンツを誘致するなどして、既存メディアと距離を縮め始めます。AOLはタームワーナーを買収。ディズニーはインフォシークを買収、ヤフーは合併ではないですが、CEOにワーナーブラザーズ出身の方を起用。全体的な空気感として、なるべくユーザーを自社サイトに滞留させて広告を見せて売り上げ増加を図るという力学で動いていたと思います。
日本の検索サイトは、人が多く集まるトップページに価値が集中し、広告がたくさん貼られ、全面ジャックなども頻繁に行われるような状況でした。
グーグルという黒船と、AdWords
検索サイトは人が大勢集まるだけでなく、それぞれの目的が究極的に細分化されていることが醍醐味であるわけですが、ビジネスの舵を握っているプレイヤーたちがその価値をあまり深堀りできてないことを残念に思っていたちょうどその矢先、Google が表舞台に登場します。
最初 Google を見たときは衝撃でした。「今までの検索エンジンは一体なんだったんだろう?」と思えるほどの検索精度の高さに驚いただけではありません。バナー広告ゼロ! ロゴ以外は全部テキストのサイトなんて、最初はスカスカで人をなめてるのかと思いました。きっと創業者がエンジニアでバナー広告が嫌いなんだろうな、と想像したものです。
それと同時に「こんな “余分なものを一切排除し、人と情報のマッチング・マシーンに特化しました” みたいなサービスはクールすぎる。面白い!」と思っていたところ、ご縁があり日本オフィスでグーグル日本事業の立ち上げに2001年より参画することになりました。
そこからは、AdWords の日本市場導入に携わるようになるのですが、その破壊的な商品スペックは、ほとんど黒船来襲に近いもので、導入から数年経つ頃にはインターネット広告業界の景色が随分と変わりました。今まで広告やインターネットとは縁遠かった中小企業が大量に参入してきて、彼らのビジネスがすさまじい勢いで伸長していったのです。ネット専業と言われた広告代理店が躍進した大きな契機の一つでもあったと思います。
Infoseek時代初期に、電通さんにお邪魔した際に Joi(伊藤穣一氏)が説明したことは今でも憶えています。例えば、
1)インターネット広告はコストに見合う広告である。例えば Infoseek に500万円投資すると、その投資に見合う収益を上げることができる。
2)利権の破壊が起き、中間業者がいらなくなる(正しい中間業者は生き残る)
など、当時は隣にいながらも「本当かよ?」と思ったものですが、AdWords導入後の世界の変容を目の当たりにして、あの時 Joi が言っていたのはこういうことだったんだなあ、と感慨をもって思い返したものでした。AdWords は、現在インターネット広告の大部分を占める「運用型広告」の元祖でもあります。この黒船来襲のドラマは下記で詳しく説明していますので、ご興味のある方はどうぞ。
ソーシャル・ネットワークの台頭
2000年代後半にはサービスもビジネスも巨大化し、Google≒Internet のような存在になっていました。つまり、Google で検索して出てこないものは世の中に存在しないと同義、などと言われたりしていたのです。
ところが、2000年代後半から SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)が台頭してきます。コミュニティ系のサービスというのは元々インターネットの中ではずっと大量にユーザーが集まるサービスの代表格で、以前から様々なプレイヤーがいましたが、それらの大半は匿名ベースが基本で、Facebook のようなほとんど実名ベースのコミュニティが、世界レベルで巨大化した、というのは本当に驚きでした。
Facebook の台頭は、インターネット上に Google が補足できない巨大な領土が出現したということになるので、Google≒Internet は数年でそうではなくなったことになります。コミュニティはマネタイズが難しいというのが定説だったので、そこはどうするのかな、と思って見ていましたが、Facebook にはシェリル・サンドバーグを慕ってグーグルからとてもたくさんのスタッフが移っていたので、広告設計はかなり慎重にやっているな、という印象を持っていました。(慎重というより大胆にトライ&エラーを繰り返しているといった方が近いかな)。
結果としては皆さんもご存知のとおり、スマートフォン・フォーカスもうまくいき、AdWords では実現できないようなことを次々にリリースし、とても面白いと思っています。
このインターネット20年のキャリアの中でビックリ大賞をつけるとすれば、1位:AdWords、2位:Facebook という感じでしょうか。
結局、グーグルには2009年まで在籍しました。2010年からはアタラ合同会社で、杉原、有園、岡田というグーグル時代に苦楽を共にした濃いメンバーの応援というかたちで、会長職を務めています。彼らに限らず、毎年個性の強い面白い人間が集まってきているので、インターネットと企業運営の面白さが今も現在進行形で続いています。
BigData、IoTの時代に向けて
私が魅了された昔の “自由な遊び場としてのインターネット” から、現在は “完全に捕捉されるインターネット” になりつつあります。
Facebook のようなソーシャル・ネットワークとスマートデバイスがここまで浸透してくると、”オフラインまでもが捕捉” されるようになり、Google も Micro-Moments なんて言っているように、もはや逃げ場がどこにもなくなってきていますね。でも人類は着実にそっち方向(すべてを捕捉する世界)に舵を切っているんでしょうか。
先月(2016年9月)の ad:tech Tokyo の基調講演で、スコット・マクネリー氏が、
In the IoT world brands will suffer and big data connected services will rule.
とまで言っていました。
アタラの業務でも、glu というレポート集計システム、アトリビューションのコンサルティング、データフィードといった、断片化している巨大なデータをつなげて、分析やアウトプットに繋げていくという仕事が太くなっているのを考えると、このスコット・マクネリー氏の発言は、未来の話ではなく現実がそちらに着実に向かっていることを示唆しているように思います。
先月(2016年9月)に行われたフィードフォース社主催の「FeedTech」は会場の熱気がすごく、非常に強いモメンタムがきていることを肌で感じました。やや手前味噌感がありますが、同じタイミングで上梓された 『いちばんやさしい データフィードマーケティングの教本』 という書籍も、今このタイミングで出てきていることが、迫り来る BigData時代、IoT時代への対処として、今から自社のData整備をしていく必要性を暗に物語っているのではないかと感じます。
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これまでの20年を振り返ってみると、どこを切り取ってみても激動の連続という感想ですが、おそらく今後もさらに加速度的に変化は増してくると思います。どういう立場でその景色を楽しむのか、せっかくなら眺めのいいところに居たいと思う次第です。