「有園さん、大型案件獲得の方法とかコツとか、そういうお題で勉強会をしていただけないでしょうか?」
2年半ほど前に、ある広告代理店の人から依頼された。
いわゆる、競合とかコンペとかいわれる提案やプレゼンで勝利する方法についての勉強会ということだった。
「そんな方法があるなら、自分が教えて欲しい」と内心では思いつつも、せっかくの依頼なので引き受けることにした。
「サムラゴウチマモルに学ぶ大型案件獲得のコツ」
そして、しばらく考えて思いついたタイトルが「サムラゴウチマモルに学ぶ大型案件獲得のコツ」だった。サムラゴウチマモルが当時はまだ話題になっていたので、良い題材になると思ったのだ。
きょうは、その勉強会で話した内容について、その骨子を紹介したい。
このタイミングでこのような記事を書くことにしたのは、サムラゴウチマモルが話題としては古くなってしまったので、同じタイトルで勉強会をすることは今後ないだろうと思ったからだ。
それから、同じタイトル・内容での勉強会をすでに、2つの広告代理店で、それぞれ合計で5回実施したので、仮に同様の勉強会をするにしても、中身を刷新しないとなぁと思っているからでもある。
このような勉強会の依頼が来た背景について、私が思うところを、まずは簡単に、説明したい。
私自身はデジタルマーケティングコンサルタントとして仕事をしている。
仕事の中で多くの時間を割いているのは、直接契約しているクライアントへの提案業務や定例会関連業務、それから新規クライアントへの提案業務などだ。その他、自分自身の勉強のためにセミナーに参加したり、資料を調べたり、業務関連の書籍を読んだりするのが自分の仕事になっている。
そのような仕事の中で、最も大事にしているのが新規クライアントへの提案業務だ。
新規のクライアントへ提案をして仕事を獲得してこなければ、そもそも、自分の仕事がない。仕事がなければ生活できない。そのため、新規クライアントへの提案業務には、通常、最も時間と神経を割くことになる。負ければ仕事がないからだ。
この新規クライアントへの提案業務は、一人で行うこともあるし、広告代理店の人たちやパートナー企業の人たちから依頼を受けて共同提案を行うことも多い。
私はデジタルマーケティングコンサルタントと名乗っている以上、デジタルマーケティング関連の提案業務やコンペで他の人たちと組んで仕事をするときには、負ける訳にはいかない、と意気込むことが多い。それはなぜか?
それは、仮にコンペで勝てなかったとしても、「良い提案だったので、機会があればまたご一緒したい」と言ってもらいたいからだ。この業界で仕事をしていく以上、最低でも次の仕事につながる種を蒔いておきたい。
世の中、勝率100%の人はあまりいないだろう。そして、私自身の勝率が高いのかどうかは知らないが、ただ、仮に負けたとしても「良い提案だった」というレベルにはしておきたい。そういう気持ちと姿勢がおそらく影響して「大型案件獲得のコツ」というテーマでの勉強会依頼につながったのだと思う。
大型案件ってどのくらい?
ところで、「大型案件」とは、一体どのくらいの規模か?
デジタルマーケティング業界だと、自分の経験では年間10億円以上であれば大型案件だなと感じている。
もちろん、年間で100億円以上のデジタル広告やデジタルマーケティング関連の費用を使っている企業があるのは知っているが、そういう場合は、おおむね、複数のブランドを持っている企業なので、個別ブランドごとの年間予算はデジタル広告だけで10億円規模以上であれば大型という感じではないだろうか。
ちなみに、大型案件だろうと小さな仕事だろうと、仕事としては重要度は変わらない。
どの仕事も同様に重要なのだが、勉強会のタイトルとしては、「大型案件」という言葉を使った。その方が、聴衆の興味を引くだろうと思ったからだ。
なぜ、サムラゴウチマモル?
では、「サムラゴウチマモル」という単語をタイトルに入れた理由は何か?これも、もちろん、聴衆の興味を引くだろうという意図はある。
が、しかし、それ以上に、あのサムラゴウチマモル現象で、自分自身が「あ、なんか、自分の仕事も似たようなことをやっているな」と感じて学んだことがあるからだ。
サムラゴウチマモルだけではなく、ショーンKやオボカタハルコなども学ぶことが多いと感じている。
さて、サムラゴウチマモルについては、いまさらなので説明する必要はあまりないと思うが、もちろん、「佐村河内守」さんのあの「騒動」のことである。
あのサムラゴウチマモル現象で、多くの人が気付いたことがあるハズだ。それは何か?
答えを先に言うと、それは、私たちは、佐村河内守さんの音楽を、曲を、あるいは、CDを買っていた訳ではなかった、ということだ。あの現象で多くの人がそのことに気づいたと思う。
新垣隆さんという人が現れて「どうやら作曲していたのは、違う人らしい」ということがバレた。たしか、そのことがきっかけで、あれは「事件」から「騒動」へ発展していったのだと思う。
では、私たちは何を買っていたのか?あるいは、サムラゴウチマモルは何を売っていたのか?
私自身は、NHKスペシャル「魂の旋律〜音を失った作曲家〜」(2013年3月31日放送)を偶然見て、佐村河内守さんのことを初めて知った。「全聾の天才作曲家」 や「現代のベートーベン」という話を素直に信じて、 広島県出身という彼の「交響曲第1番《HIROSHIMA》」 という曲を耳にし、「なんかスゴイ人が出てきたなぁ」と感じた。
「全聾だからこそ、普通の人にはない感性がきっとあって、音に対して敏感なんだろうなぁ」とか「広島で生まれた人にしか分からない被爆地への想いがきっとあって、素晴らしい曲ができるんだろうなぁ」と感心した。
それで、新垣隆さん登場である。「え、そうなんだ。自分で作曲していたんじゃないの?」「新垣隆さん?あらら、この人がゴーストライター?」とヤラレタ感を持った。CDこそ買わなかったものの、なんとなく残念な感じは否めなかった。
そして、このサムラゴウチマモルは「CDを、あるいは、曲を売ってた訳ではないんだ!」と気付かされた。
サムラゴウチマモルにどのぐらい意図があったかは知らないが、きっと、あるとき、「耳がぜんぜん聞こえない作曲家が被爆地・広島県出身で《HIROSHIMA》という曲を作ったとしたら、そういう話なら、売れるんじゃないか?」。
そんなアイデアが彼の頭に浮かんだに違いない。そして、そういうストーリーで売り込んでいったら、期待通りに売れて、NHKスペシャルにまでなってしまった。
天下のNHKまで騙したのだから大したものだ。そして、多くの人がそのアイデアとストーリーに感銘してCDを買った。曲を聴いた。曲そのものも、きっと良い曲だったのだとは思う。
でも、新垣隆さんの登場で、「全聾の天才作曲家」 や「現代のベートーベン」という話がなかったら、そういうストーリー性がなかったら、あの曲は売れたんだろうか?となった訳だ。
ストーリー性がある
まったく同じではないものの、ショーンKやオボカタハルコの件も、似たような構造があると思う。つまり、意図的であったかどうかは別として、ちょっと騙された感じだ。
似たような構造だと感じる理由を簡単に説明しておきたい。
まず、ショーンK、サムラゴウチマモル、オボカタハルコに共通するのが、ちょっと騙されたと感じてしまう自分がいて、その自分自身がちょっと滑稽だったりする点だ。「あー、バカだなオレ。騙されたよ」と。つまり、自分に対しての、文字どおり、自虐的な笑いの種がある。
そして、これも故意かどうかは別として、結果的には世の中を欺いていたショーンK、サムラゴウチマモル、オボカタハルコらが、それぞれ滑稽なのだ(オボカタハルコの現象については故意かどうかは本人しかわからない状態だが)。それぞれの現象の当事者が、滑稽、あるいは、ちょっと嘲笑の対象になる。「バレると思わなかったのかなぁ。バカだなー」と。つまり、我々から見て、他者に対しての、嘲笑い、軽い侮蔑的な笑いの種がある。
そして、このショーンK、サムラゴウチマモル、オボカタハルコ現象から、共通して教訓めいたものを我々が受け取ることになる。「やっぱり、人間、正直が一番だなぁ」みたいな教訓だ。
この「自分に対しての笑い」、「他人に対しての笑い」、そして、「教訓を得る」という共通した構造があって、話題になりやすいのだと思う。話として面白いのだ。ストーリー性があると言っていい。
ショーンK、サムラゴウチマモル、オボカタハルコは、それぞれ世の中をちょっと欺いていた。ある種の偽りのストーリーを構築した。それで売れていた感がある。
その化けの皮が剥がれて、世間に晒される。その晒されること自体にも、ストーリー性があって、世の注目を浴びることになる。
いずれにせよ、このストーリー性があるということが、人を引き付ける。