ロジカルシンキング能力を高めるにはどうすればいいか
「ロジカルシンキングが苦手なんです。どうしたら、できるようになるでしょうか?」
そのような質問を受けたことがある。
ちょうど、先日私は、「ショーンK、サムラゴウチマモル、オボカタハルコに学ぶ大型案件獲得のコツ」というコラムを書いたのだが、これを読んだ人からも「コラムは面白かったのですが、ロジカルシンキングってどうやったら修得できるものでしょうか?」と質問された。
この先日のコラムでは、大型案件獲得のために提案書を作る際のコツとそれをプレゼンするコツについて、私なりに書いてみた。そして、そのコツを実践するにはロジカルシンキングが大事であるという趣旨のことも書いた。
このロジカルシンキング能力を高めるにはどうすればいいか。今回は、自分のデジタルマーケティング業界の経験を中心に、感じていることを書いてみたい。
「1:タイプの異なる人とディスカッションをする」
仕事の中で、自分が最も手っ取り早くて効果的だと感じているのが、ディスカッションをすること、議論をすることだ。
それもダラダラと打ち合わせをするのではなく、ロジカルシンキングを身に付けるためには、なんからの目的やゴールに向かって議論することが最も効果的だと経験的に感じている。
そして、議論する相手は、自分と似たような人、同じようなバックグランドの人ではなく、異なる趣味や経験の人、年齢や業種業界、職種も異なるタイプで、意見も異なる人と議論するのが良い。
そういう異なるタイプの人と共通の目的やゴールに向かって建設的に議論ができるようになると、じつは、その時点でロジカルシンキング能力がアップしていると思う。それはなぜか?
意見が異なる人と議論をすると、前提にしている価値観や見解、そして、物事に対する個人的な洞察、point of view というのか、そういう物の見方が異なることに気づくことがある。要するに、その人が背負っているバックグランドが違うのだ。
そのような人と議論をしていると基本的な相互理解が欠落していて、話にならない、話が進まない、という経験をすることがある。その結果、これはお互いの性格にもよるのだが、ついつい感情的に激しく議論、あるいは、口論に近いような状態になったりする。
そして、「このままではラチがあかない。ケンカになってしまう」と気づくのだ。その時に、感情的なままで物別れになってしまうのか。あるいは、活路を見出すように努力するのか。この事態を切り抜けるには、どうすればいいのかと考える。そうだ、考えるのだ。
考える。頭を使って考える。考えることが、ロジカルシンキングの第一歩だ。
例えば、基本的な相互理解が欠如している理由として、同じ単語で意味するところが異なる場合がよくある。
先日、「カスタマージャーニー」という単語が打ち合わせで頻繁に出てきた。でも、なんとなく、打ち合わせしているメンバーの話が噛み合わないなぁと思っていた。その理由は、議論をしている途中でわかったのだが、それは、「カスタマージャーニー」で意味することが微妙に違ったのだ。
ある人の「カスタマージャーニー」は、インターネット上で取得できるデータで描くコンバージョンに至る経路のことだった。一方で他の人は、マス広告などオフラインのコンタクトポイント、店頭とECの2つのセールスチャネル、そして、インターネット上で取得できるデータも含めて「カスタマージャーニー」を考えていた。
この食い違いが、話の前提の差異を生み、噛み合わない議論を招いた原因だった。
このような違いを整理し、お互いを理解する。あるいは、「カスタマージャーニー」の定義をお互いが共有する。このステップを踏んでいくことが、ロジカルシンキングの土台を作っていく。
自分はいま「単語A」で何を意味しているのか。あるいは、「単語A」の意味を他人がどのように解釈するのか。それを固めていくのだ。
「単語A」の定義が明確になれば、それに基づいて「単語B」の定義が決まる。そして、次に「単語B」から「単語C」が派生する。そういう定義の連鎖が生まれる。
そういう感じで、土台となる単語や言葉、フレーズ、コンセントなどの定義が明確になることで、その土台を礎にしてしっかりとした論理構成の骨組みが築かれていく。
基礎工事が脆弱では、堅牢な建築物はできない。ロジカルシンキングの基礎工事は、他者も理解でき共有できるコンセプト、論理の土台となるコンセプトの定義を確立し、そこから、派生する概念を一つ一つ定義していくことだ。
そして、意識して欲しいのは、他の人が理解でき共有できる定義をしていくこと。
ロジカルという意味では、他の人が理解できなくてもロジカル、あるいは、論理的なストーリーはあり得ると思う。しかし、ビジネスの現場では、他人に理解されない論理的な話をしても仕事にならない。
「エネルギー (E) = 質量 (m) × 光速度 (c) の 2 乗 だからさ、フィットネスクラブに通うと体重が減るんだよ。エネルギーを発生すると、質量が消失するからね」
仮にこの話がロジカルだったとしても、「あのー、すみませんが、何言ってるか分かりません」という冷めた反応をされるのがオチだ。
なので、仕事では、他人との相互理解を考慮しつつ、土台となるコンセプトを定義し、他者と共有していくことが大事だ。
ところで、少し話が飛ぶが、最近上梓した共著「運用型広告 プロの思考回路」の第1章で、博報堂の藤浦圭一郎さんとの仕事について書いた。
藤浦さんとの仕事を通して、私は広告運用の基礎やロジカルシンキングの基礎など様々なことを学んだと思う。
なぜ、私は藤浦さんから多くのこと学ぶことになったのか? それは、藤浦さんが私と異なるバックグランドを持つ人だったからだ。
2004〜05年に藤浦さんとは主に仕事をした。彼は、若い頃コピーライターやCMプランナーで、当時はすでに50才代前半だった。ミュージシャンでもありベースが上手いと聞いていた。東工大大学院卒だったらしく理系の感性も持っていた。そして、私の知る限り、マス広告のクリエイターを中心に仕事の経験を積んでいた。
一方で、私はどうか? 当時は30代で藤浦さんとは親子ほどの年齢差があった。大学では政治経済学部を卒業し、その後、アメリカに留学。典型的な文系だが、ミュージシャンというような才能はない。インターネット広告でコンバージョン獲得目標を達成するための仕事を中心に業務経験を積んでいた。
年齢差があって異なるバックグランドを持つ二人だった。共通点は、おそらく、二人とも頑固だったことぐらいだ。そんな私たちの議論は、最初はまったく噛み合わなかった。お互い頑固なので、一歩も引かずに衝突することが多々あった。基本的な相互理解が欠落していたのだ。
そんな状態で検索連動型広告の仕事を一緒にやることになり、藤浦さんはクリエイティブ(広告文)担当、私はアカウントマネジメントの担当だった。かなり喧々諤々やっていたある日、お互いの考え方の違いを超えて分かり合えたと思ったきっかけがあった。それは、どんな広告文が理想的かについて意見を交わした時だった。
藤浦さんはマス広告領域で経験を積んできたので、ブランドをとても大事にしていてブランドメッセージを広告文でいかに表現するべきかを、どちらかといえば、大事していた。それに対して私は、ブランドのことはあまり考慮したことはなくて、検索しているユーザーの意図を推測し、それに合致する広告文をいかに作ってクリック率やコンバージョン率を上げるかを強く意識していた。
いわゆる、Push型広告とPull型広告という話があるが、藤浦さんはPush側の観点がどちらかといえば強く、私はPull型の視点だけで考えている感じだった。
クリエイティブに関する私たちの議論が噛み合わなかった理由は、それぞれが考える理想がズレていることだった。そのズレを招いているのは、おそらく、お互いの視点の違い、バックグランドの違いが影響しているのではないか。そんなちょっとしたことに気づいた瞬間から、お互いの意識のチューニングが進んで、ドミノ倒しのように仕事が円滑に進展するようになった。
そして、その頃から私は藤浦さんのことを尊敬できるようになり、藤浦さんの意見を尊重しながら、藤浦さんに理解してもらえるように曖昧な言葉を避けつつ、お互いに主要な言葉の定義を確認しながら、建設的な議論ができるようになった。このプロセス自体が仕事で通用するロジカルシンキング力を鍛えてくれたと感じている。
つまり、バックグランドが異なる藤浦さんと共通の目的に向かって議論し仕事をした経験は、ロジカルシンキングの絶好のトレーニングだったのだ。